作者名のないものはすべて渡辺雄司作品です。
熊五郎 桐面 縦22×巾17×厚10㎝
獅子頭 36×35×35㎝
被り狐面 30×35×30㎝
駱駝(小) 7×23×20㎝ ブロンズ
鷺と月 68×50×5㎝ 欅
獣花 63×60×6㎝
ひがしんビジネスフェア2017 出品作品は他に「狸面」含め6作品
笑狐面 14×23×7㎝ 漆 金箔等
第5回 おかがみ
ーカタログより抜粋ー
1990年和光移動大学で「伊八ー欄間彫刻」に光を当てその準備をする。世界各地に散在する嶋村俊明・吉田芳明作品等を今後も調査、発表したい。
闘牛 ブロンズ
「被り龍頭」 桐材・白毛など
2019年8月20日
「根付風バイオリンレリーフ馬頭」 石膏 90×33×12㎝
「龍面」木曽桧樹齢300年 43×17×11㎝ 他に「笑狐面」出品
江戸嶋村の貴重な社寺の彫物などが、充分な調査をされず幼稚に塗りたくられている。井戸を掘った者の成果が反映されずパクリの世にあっても尚、井戸を掘り続け真水を得たい。
2020年11月7日
「被り龍頭」緑 高17×巾33×奥65㎝
明治期 嶋村俊明作 「華山先生像」山桜
嶋村俊明・吉田芳明に逆立ちしてもおぼつかないが、渡辺崋山と江川坦庵は肝胆相照らす仲ということで。
2022年10月20日
「被り龍馬」 高12㎝×巾16㎝×長45㎝
2022年
「龍笛」レリーフ 縦43×巾34×厚8㎝
2022年
「江戸彫工元祖 嶋村俊元風 龍頭」 高28×巾39×長65㎝ 渡辺雄司作
「キーン像」 高42×巾30×奥31㎝
成田山新勝寺光明堂 嶋村円徹(鉄・哲)
「山村八重子」レリーフ 高25×巾18×厚4㎝
山村八重子(1899~1996年)鳥類、貝類などの研究者。それらを採集、標本にして国立科学博物館等に収めた。東京狛江で暮らし没後家にあった大量の遺品は近在の方々や泉龍寺の協力によって管理、調査されている。
興味深いのは泉龍寺と周辺の歴史的背景。二層式鐘楼は天保15年再建、周囲に彫られた波の造形力は半端では無く、一対の龍と共に嶋村の彫物であることは明らか。八代嶋村俊正、八代俊表、九代俊準らが活躍した浅草の工房によるもの。天保9年浅草寺絵馬浮彫額、安政3年さいたま市一乗院本堂欄間、草加市東福寺三面欄間等の波・龍と見比べればそれらが同じ工房の嶋村一門によって彫られた事は一目瞭然でわかる。「圓哲」刻印は世襲の号
嶋村の彫物を辿ってゆくと幕末の知られざるダイナミックなうねりが見えてくる。
更に面白いのは泉龍寺中興開基の石谷清定の三男石谷貞清は、川越藩主松平信綱と業績を共有し、共に伊奈氏と関わりが深い。慶長期狛江和泉で多摩川の水を取水した六郷用水は、同時期に掘削された対岸の二ヶ領用水と合わせ周辺の農地を潤わせ社寺の整備、建物再建に貢献した。六郷用水、二ヶ領用水付近に嶋村の彫物が点在する。用水に浮かぶ水鳥や社寺に彫られた木彫の鳥を八重子は眺め、ほっこりしてたのではないだろうか?
大正14年 吉田芳明作 「普賢菩薩」
写真提供 普賢菩薩旧蔵者梅澤氏
2024年 「山椒魚」高30×巾29×奥32㎝
浅草寺絵馬 天保9年
浅草寺の絵馬 浅草寺発行
箭弓稲荷神社絵馬「頼信脇息に寄り」 天保12年
箭弓稲荷神社発行 松本十徳写真
勝浦市大楠 菅原神社向拝龍裏 江都彫物元祖 嶋村俊元八代目淺草神田川住 嶋村俊正
勝浦市祭屋台 上本町 下本町 仲本町 安藤敏春写真
東都 嶋村俊正
嶋村八代~九代
「三町祭屋台と出水の山車」
道友は個人名ではなく大原幽学の門人を表す。
嶋村八代~九代
「三町祭屋台と出水の山車」
棟梁銘と作者は必ずしも一致する訳ではなく、嶋村俊表門人が恵比寿大黒を彫った可能性が高い。上の鬼板の嶋村道友と筆跡は同じ。
嶋村俊表の圓哲印は草加東福寺三面欄間の圓哲印とよく似てる。
俊正、俊表らの彫物は大原幽学が先進的活動を成した東総各地に点在し旭市長禅寺はその代表例。俊表は文久三年に没す。
嶋村 草加東福寺三面欄間
嶋村俊表は生前棟梁銘を几帳面に記し、俊表没年(文久3年)後の嶋村俊準によるものか。
草加東福寺三面欄間
東都彫工 嶋村俊正 旭市長禅寺
大原幽学、高松彦七郎・彦三郎親子と嶋村一門の接点を象徴する欄間。大原幽学の出自をめぐり御小人目付高松親子は幽学を守り勘定奉行と幕臣同士で争う。江戸訴訟は5年半におよび安政4年(1857)決着、翌5年幽学自決。嶋村俊正は安政元年に没す。御小人目付高松彦三郎は文久元年(1861)遣欧使節団に加わり、ロンドン万国博で初代駐日イギリス公使ラザフォード・オールコックから送られた日本の美術工芸品等に遭遇している。
「万国博覧会の美術」パリ・ウィーン・シカゴ万博に見る東西の名品 発行 NHK NHKプロモーション 日本経済新聞社 2004
草加市は東福寺彫物について「渡辺の意見は聞けない、もっと偉い人の話を聞く。」と言うが国・大学で嶋村研究はされておらず各地の嶋村の彫物は保護もままならない危険な状態にある。無残な彩色もされてしまった。大阪万国博を開催するならば幕末・明治世界を席巻したジャポニズムの源流を検証し、今の日本を自問すべきでなかろうか。
「ウィーン万国博覧会」1873年 編集・発行 たばこと塩の博物館 2018年
右の神楽殿に日本で彫られたであろう脇障子・木鼻等の彫物がある。ウィーン万博現地で日本の大工が組み立て作業中、檜のかんな屑を皇妃エリザベトは眺め持ち帰った。